「国に見殺しにされた」軍隊の士官が抱え続けた「負い目」とは?

太平洋戦争において、米軍の反攻にあい劣勢に立たされた大日本帝国政府は、1943年9月30日、「絶対国防圏」内への戦線縮小を発表する。これは、本土防衛と戦争継続のため、千島ーマリアナ諸島ー西ニューギニアを結ぶラインの内側を死守するという構想だが、この時点で、「国防圏」の外にはまだ多くの将兵が残されていた。 彼らは、それから一切の補給を受けられず、降伏することもできず、ただ死ぬまで戦うことを強いられる

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