ニュー・ジェネレーション路線の“青写真”――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第180回

1994年はビンス・マクマホンにとって “1984体制”のちょうど10年後の現実だった。 “1984体制”とはWWEによる全米マーケット制圧プロジェクトのことで、1984年はそのプロローグにあたる。いまになってみればそのほうが非現実的なビジネス・モデルではあるが、1984年までのアメリカのプロレス界は完全な地方分権型で、全米各地に20団体から25団体のローカル・テリトリーが共存し、それぞれの団体が

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