赤木さん「食堂」は戦争の経験から「自分が食べたい時に食べられなかったので」

◇赤木春恵さん死去 戦後間もなく満州から帰ってきた直後の赤木春恵さん。当時21歳(東宝提供)  赤木さんは常に周りを思いやる“気遣いの人”だった。元気な頃はよくドラマ、舞台の共演者やスタッフらの食事を用意した。撮影現場や舞台の楽屋は、さながら「赤木食堂」だ。早朝のロケがあれば、朝食を取ってこなかった人のためにおにぎりを差し入れ、本番の合間には牛丼やカレーライスを振る舞うこともあった。  その

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