そのとき、作詞家の阿久悠さんは「テネシーワルツ」を口にしたそうである…

そのとき、作詞家の阿久悠さんは「テネシーワルツ」を口にしたそうである。生まれ育った淡路島(兵庫県)から対岸の明石へ向かう連絡船。高校を卒業して進学のため上京する船内で歌うと、自分でも驚くことに涙があふれたという▼なぜこの歌だったのか、阿久さんにも分からない。江利チエミさんのファンでもない。もう戻らないと決別したはずの島。それでも「この歌のことは大切に覚えておこう、と思った」と明かしている▼やはり進

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

CLOSE
CLOSE