元祖風俗ライターが棲んだ街 #2

(#1より続く) 平さんと熊さん  現在でこそ、外国人観光客の増加や、浅草寺西側の通称「ホッピー通り」の人気で、週末には賑わいを見せるようになった浅草だが、吉村がエノケン一座と出会って間もない37年の浅草六区の写真を見ると、左右に派手な看板の劇場が建ち並び、その間は立錐の余地がないほど人波で溢れている。当時の賑わいは現在の比ではなく、戦前は紛れもなく日本一の歓楽街だった。  その浅草六区も、64年

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