「叔母が生きた証し」命奪った機銃弾、今も手元に 中塩さん(青森・三沢市) #戦争の記憶

海軍三沢航空基地への空襲で亡くなったキミさんの写真と、キミさんの命を奪った機銃弾  戦禍の悲劇を物語る1発の機銃弾が青森県三沢市に遺(のこ)されている。1945(昭和20)年8月9日、当時の海軍三沢航空基地を狙った米軍による空襲で、国民学校の教員だった中塩キミさん(当時17)が民間人としてただ一人亡くなった。同市の雑貨店「中塩」を営む中塩弘子さん(70)はキミさんの母から娘の命を奪った弾を託され

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