五木ひろし「大谷翔平選手と同い年の時、ラスベガスの門を叩いたことも。ステージで泣いたことのない僕が、娘の結婚式では大緊張、涙で歌えませんでした」
(写真撮影:本社・奥西義和)
福井で育った一人の「歌の上手い少年」が歌手を夢見て上京。1964年、16歳でレコード会社と契約した。少年の名は、松山数夫。その後、松山まさる、一条英一、三谷謙と名を変えて、23歳で五木ひろしとなる。
今でこそ押しも押されもせぬ大スターの五木ひろしさんが、スターになるまでにかかった年月は6年あまり。しかし、夢をあきらめたことは一度もなかったという。
昭和、平成、令和