承久の乱の一因? 後鳥羽上皇の愛妾・元白拍子の「亀菊」を巡る事件【鎌倉殿の13人 満喫リポート】亀菊編

義時によって隠岐に流された後鳥羽上皇の行在所跡(隠岐郡海士町)。 三代将軍源実朝が甥の公暁に暗殺された後、後鳥羽上皇の皇子を後継将軍として迎えるべく画策していた幕府に、後鳥羽上皇から「交換条件」のような要求がもたらされた。 『吾妻鏡』によれば、後鳥羽上皇の使者は院近臣の藤原忠綱。まず、北条政子を訪ねて、実朝の死を上皇が深く嘆き悲しんでいることを伝えたという。そして、北条義時に謁見した際、問題の要請

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