上野駅の孤児100人超、私財をなげうって育てた1人の主婦

"「愛児の家」でくつろぐ子どもたち=1947年"  終戦後、上野駅で暮らす多くの戦争孤児を保護し、私財をなげうって育てた1人の主婦がいた。東京・中野の「愛児の家」で園長を務めた故・石綿貞代(さたよ)さん。母の姿を記憶する三女の裕(ひろ)さん(90)に話を聞いた。 「家族写真を撮ると死んでしまう」1人残された夏の記憶消えなかった 終戦直後の1945(昭和20)年秋ごろ。貞代さんの友人が戦争で孤児に

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