坂本竜馬の仇討ちのために新選組に斬り切みをかけた、後の「外務大臣」と「商工会議所会頭」

慶応3年(1867年)、京都近江屋で坂本竜馬が正体不明の刺客団によって暗殺される。土佐藩出身で海援隊を組織し、薩長同盟の締結を仲介した竜馬には敵が多かった。 【写真】この記事の写真を見る(21枚)  竜馬の敵討ちを決意したのが、海援隊で部下だった陸奥陽之助。維新後、宗光と名前を変え、日清戦争時には外務大臣を務めた。  討ち入りに際し、陸奥が頼ったのが剣客である「後家鞘(ごけざや)の彦六」だった。彦

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