<歌手生活50周年・特別インタビュー>八代亜紀「私が歩んだ昭和炎歌」(3)阿久先生の言葉は私の宝物

──歌謡選手権の時には、作曲家・鈴木淳先生のところにレッスンに通っていました。八代 72年に10週勝ち抜いたあとは、先生のご自宅の2階に居候してレッスンを受けながら、曲ができるのを待ちました。私はいつ先生に呼ばれてもいいように寝ないで、夜中の2時、3時にピアノをポロンポロンと弾く音を聴いていました。すると、先生が奥様で作詞家の悠木(圭子)さんに「呼んでおいで」とおっしゃってる。悠木さんが「もう寝て

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

CLOSE
CLOSE