<来週のエール>(第3週「いばらの道」)実家の呉服店「喜多一」のピンチを救うため裕一は権藤家に養子に…音楽ともお別れか

大正15年(1926年)、福島。17歳になった古山裕一(窪田正孝)は商業学校に通いながら独学で音楽を続けていた。所属するハーモニカ倶楽部で、メンバーが自作した曲の中から選ばれた作品を演奏することになり、裕一も挑戦することにした。ところが、倶楽部の会長に対する怒りを作曲の原動力にしていた裕一の頭には、何も浮かばない。「今の君は君じゃない。だから書けないんじゃないがな?」という友人の指摘で、裕一はよう

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